八重山では17世紀後半から瓦を焼いていたが、1724年、後に名陶工といわれた那覇の仲村渠致元(なかんだかりちげん)を招へいし、山田平等に窯を築いた。最近まで、その山田平等は字宮良の高山と考えられていたが、それはバンナ岳近くの字石垣平川俣に存在する…
石垣島でほぼ毎日と言っていいほど食べていたのが”八重山そば”でした。 石垣の料理全般に共通することなのですが、どれもやさしい味でさっぱりとしている料理が特徴でした。 豚骨ラーメンも食べましたが、とっても薄味で東京のラーメンとは全く別物でした。…
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